2016/03/29

新たに法学部に入学される皆さんへ

そろそろ新入学の季節なので新たに法律の勉強を始める人達のために何かアドバイスのような記事を書いてみようかと思ったのですが、考えてみればそんなことは私が書かずとも偉い先生方が過去に沢山書いているはずですよね。そう思ってGoogleで検索してみたらものの数分でこんな文章が見つかりました。

末弘厳太郎 「新たに法学部に入学された諸君へ」

これから法律を学ばれる方は是非読んでみて下さい。法律を学んだ者にとっては非常に頷ける内容なのですが、もしかしたら最初はあまりピンと来ないかもしれません。でも、ここに書いてある心構えは、きっとこれからの学習に役に立つと思います。

大して長い文章では無いので全文読んで欲しいところですが、全く読んでもらえないのも嫌なので、重要と思われる箇所を以下に抜粋しておきます。

・・・講義を通して学生の得るものは、法典の意味に関する知識の蓄積のみではなくして、法律的に物事を考える力の発達であって、一見専ら法典の解説のみで終始しているように思われる講義でさえも、この考える力を養うことに役立っているのである。・・・

・・・しからば「法律的に物事を考える」とは、一体どういうことであるか。これを精確に初学者に説明するのは難しいが、要するに、物事を処理するに当って、外観上の複雑な差別相に眩惑されることなしに、一定の規準を立てて規則的に事を考えることである。・・・

・・・たまたま問題になっている事柄を処理するための規準となるべき規則があれば、それに従って解決してゆく。特に規則がなければ、先例を調べる。そうして前後矛盾のないような解決を与えねばならない。また、もし規則にも該当せず、適当な先例も見当らないような場合には、将来再びこれと同じような事柄が出てきたならばどうするかを考え、その場合の処理にも困らないような規準を心の中に考えて現在の事柄を処理してゆく。かくすることによって初めて、多数の事柄が矛盾なく規則的に処理され、関係多数の人々にも公平に取り扱われたという安心を与えることができるのであって、法学的素養の価値は、要するにこうした物事の取扱い方ができることにある。・・・
  
・・・法学教育の目的は以上のような点にあるのであるから、新たに大学に入学して法学研究に志す諸君は、よくそのことを念頭に入れて学習態度を決める必要がある。・・・

 ・・・学生として先ず第一に必要なのは、教授が講義を通して示してくれる法律的の考え方を理解して、これを自分のものにするよう力めることである。・・・

・・・従って第二に、折角大学に入った以上、極力講義に出席して、毎日毎日の努力で法律的考え方の体得を計らなければならない。無論、読書によってこの考え方を習練することも決して不可能ではないけれども、聴講によるのに比べると非常に困難である。・・・

 ・・・もしも余裕があれば、参考書を読めば読むほどよろしいに決っている。しかし参考書を利用し得るためには、先ず講義を理解し、そのうえ講義に疑いを挟むだけの力ができなければならない。いたずらに多数の本を読んで学者所説の異同を知っただけでは、何の役にも立たない。各学者の所説のあいだにいろいろ相違があるのは、その相違を生ずべきそれ相応の理由があるのだから、その理由にまで遡さかのぼって各学者の考え方を討究しなければならない。さもないといたずらに物識りになるだけで、法律的に物事を考える力が少しも養われない。・・・

・・・終りに、も一つ、法学生一般に対する注意として、およそ法学を学ばんとする者は、社会・経済・政治その他人事万端に関する健全な常識を持つよう、一般的教養を豊かにすることを力めねばならないことを言っておきたい。法律の規律対象は人間である。「法律的に物事を考える」についてのその「物事」は、すべて人間に関する事柄であり、またその「考える」諸君自らもまた人間である。人事万端に関する健全な常識を持つ者でなければ、到底適正に、法律的に物事を考え、物事を処理し得る筈がない。・・・


ちなみに末弘先生がこの文章を発表されたのは、1937年(昭和12年)だそうです。当時この文章を読んで法学部で学んだ学生のうち少なくなからぬ人々が戦場に散っていったのではないかと思います。平和な時代に勉強できる幸せを喜ぶとともに、これからも平和が続くように努力したいですね。そのためにも、「法律的に物事を考える」ことのできる人が増えて、法の支配を支えていくことが重要ではないかと、私は思っています。

新たに法学部に入学される皆さんが充実した学生生活を過ごされることをお祈り致します。


2016/03/13

「小説家になろう」名称アウト!?

ほぼ更新停止状態の本ブログですが、どうしても気になることがあったので久しぶりに書いてみます。

「小説家になろう」名称アウト 山形で19年続く講座、大阪の企業に商標
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160311-00000241-yamagata-l06

詳細は上記の記事を読んで頂くとして、要はこういうことのようです:

- 山形市で「小説家(ライター)になろう講座」という名称の講座が1997年から19年間続いてきた
- 同講座は、有名作家も講師に迎え、これまでに多彩な作家を輩出している
- ところが「小説家になろう」を商標登録した大阪の会社から名称の使用をやめるよう求める通知が今月になって届いた
- 同講座は16年度から新たな名称で再スタートすることにした

ネット上では名称を使用しないように求めてきた会社を非難する声も多いようですが、営業政策的に適切かどうかは別として、法的には成り立つ主張でしょう。商標権は取得していますからね。ちなみに登録番号は第5554691号のようです。内容を知りたい方は特許情報プラットフォームで検索してみて下さい。指定役務に「技芸・スポーツ又は知識の教授」や「セミナーの企画・運営又は開催」が入っています。

私が不思議に思うのは「今月(=2016年3月)になって」から通知を送られてきたというのに、上記記事のための取材を受けた日(=遅くとも2016年3月10日)には講座主催者が既に名称変更を決めている様子であることです。名称変更するなら年度が変わる4月からの方がよいといった判断もあったのかもしれませんが、それにしてもあきらめが良すぎるような。19年続いてきた講座の名前をせいぜい10日くらいの検討で変更してよいのかなと。

商標権者側に対抗しようとするなら、先使用権(=商標権者の出願前から使用している商標について一定要件のもとで使用継続が認められることがある。商標法32条)を主張して使用を継続したり、「小説家になろう」といったキャッチフレーズ的な商標は識別力が無いから無効な登録である(商標法3条1項6号)であると主張することも考えられると思います。

もちろん、先使用権も登録無効も確実に裁判所が認めてくれる保証はありません。先使用権の方は周知性という要件をクリアしなければなりませんし(ご参考:先使用権の周知性に関する判決の研究)。でもそんな主張を持ち出されれば相手方だってリスクは避けたいので、交渉の余地もあったのではないでしょうか。一定条件での使用継続といった和解は十分できたのではないかという気がします。

山形市出身の筆者としては何となくもったいないような気がして気になった一件でした。


[2016/03/17追記]

山形の講座の世話人である池上冬樹氏のTwitterによれば、まだ名称を変えるという結論は出ていないようです。争う方針なら是非手伝いたいなあ。
https://twitter.com/ikegami990?lang=ja